二人きり

「……もしかして今日も野宿?」

 その悲壮な声に、脇目も振らず歩を進めていた犬夜叉は足を止めた。
 ぐるりと振り向いた彼の顔は不機嫌極まりない、といった様子だ。
 もう夕刻ということもあり、鬱蒼とした林道は暗い影を落としている。橙色の光に照らされたかごめは、より一層憂いを帯びて見えた。
 その顔は疲労を伴い、今にも座り込んでしまいそうに力無い。

「そのくらい我慢しろよ。休めるだけ有り難いと思えっつーの」

 腕を組み、見下すような視線をするのは犬夜叉にとって極自然な動作だ。だが、いつもならやんわりと受け流せるかごめも度重なる野宿生活に参っているせいか、目を吊り上げることしかできない。

 二人の更に後ろを歩いていた弥勒と珊瑚、そして七宝は顔を合わせ、やれやれと肩を竦めた。

「なによ、もう慣れたけど野宿は嫌なの。誰だって野宿より過ごしやすい普通の宿が良いに決まってるでしょ!?もう何日野宿したと思ってるのよ」

 かごめは今まで溜めに溜めた鬱憤を晴らすかの如く、犬夜叉に詰め寄った。矢継ぎ早に出てくる言葉に、挟める言葉は誰も持たない。
 野宿の文句のついでに、もっと優しい言葉をかけれないのかと言及までされた犬夜叉はたじたじと身を引くしかなかった。

「と、とにかく仕方ねーだろ。宿を建てる訳にもいかねえし……」

 とにかく離れようと思ったのか、犬夜叉は踵を返して歩き出した。
 脇道から飛び出た邪魔な草をぶちぶち千切りながら、大股に進んでいく。

「さあ、もう少し歩きましょう、かごめ様」
「もう少しで休めるから、ね?」
「全く、犬夜叉はアホじゃ!」

 脹れっ面で犬夜叉を睨みつけていたかごめの肩を、弥勒は励ますように叩いた。
 珊瑚もその横で、七宝も弥勒の肩に掴まったまま、それぞれ力づける。
 かごめは仲間達の気遣いに感謝すると共に、申し訳なくなって俯いた。


「かごめ様、どうやら野宿は免れそうですよ」
 せかせかと進む犬夜叉に追いつき、暫く歩いたところで弥勒はかごめを振り返った。
 珊瑚と寄り添って歩いていたかごめは首を傾げたあと、前方に小屋があるのを見つけ目を輝かせる。

「廃屋みたいだ、良かったねかごめちゃん」

 心底疲れて見えるかごめを心配していた珊瑚も、ほっと肩の荷を下ろし笑顔を覗かせた。

「うん、良かった―。今夜は屋根のある場所で眠れるのね」

 かごめは小屋の前まで駆けた。七宝も後からついてくる。
 それまでの疲れはどこかに飛んでいってしまったかのように、その足取りは軽い。
 木戸の前に立っていた犬夜叉は、近付いてくるかごめに躊躇いつつ話しかけた。

「相当ガタがきてるぜ、この小屋」
「……今にもつぶれそうじゃな」

 恐る恐る、という風に七宝は小屋を見上げた。
 全体的に古いその建物は、戸が老朽化しているのを始め、あちらこちらが壊れてしまっていた。修理の跡も窺えるが、それも余計に見かけを悪くしているだけだ。
 とてもじゃないが泊まりたいとは思えない代物だった。
 
「……大丈夫よ。屋根があるんだから外で寝るよりマシだわ」

 それでもかごめは威勢良く引き戸を開こうとした。が、建てつけが悪くなかなか開かない。
 犬夜叉は仕方ないな、と呆れ顔で戸をこじ開けた。
 途端、陰鬱とした空気が中から溢れてきた。かごめは思わず後ずさる。埃と、カビが合わさったようなすえた臭いに犬夜叉も額に皺を寄せた。

「おい、かごめ」
「大丈夫よ、換気すれば大丈夫」

 大丈夫そうには見えない、と不安がる犬夜叉と七宝を置いてかごめは中に入っていく。
 小屋内は一段と暗く、もわもわとした埃が覆っているようだ。かごめはリュックから取り出した教科書や参考書を両手に、埃を扇ぎ出そうと試みた。
 入口で見守っていた犬夜叉と七宝は、突如中から噴出してきた埃に激しく咳き込んだ。

 数分後、かごめの努力が実って小屋内の空気は息ができるほどに清浄化した。
 しかしすっかり日は落ち、木々に囲まれた周辺は一寸先も見えないくらいの暗闇だ。

「ごめん皆、やっと綺麗になったわ」

 かごめは懐中電灯を手に、戸の内側から顔を覗かせた。
 直ぐ側に壁を背もたれに座っている犬夜叉が居る他は誰も居ない。

「あれ?弥勒さま達は?」
「……この小屋は俺たちだけで使っていいとよ」

 犬夜叉はすっくと立ち上がると、かごめを小屋内に押し込めつつ中に入った。
 人よりも敏感な犬夜叉はまだ残っているカビ臭さに鼻をひくつかせる。

「え?それってどういうこと?」
「あいつらは野宿。俺はお前の護衛に残れって、弥勒が」

 かごめは懐中電灯を床に置きながら、弥勒の真意を探る。
 野宿の方がマシだと判断したのだろうか、と。

「そっか。なんか悪いことしちゃったかな」
「なにが?」

 中央に敷いたピクニックシートに腰を下ろして、犬夜叉とかごめは寄り添う。
 まだそう寒くはない時期だが、その温かさは心地よく二人の体温を上げていく。

「私が意地を張ってここに泊まりたがっていたから、犬夜叉だけ残らなきゃいけなくなっちゃったんでしょう?」

 かごめはごめんね、と困ったような笑みを浮かべる。
 その表情は凭れかかられた犬夜叉からは見えない。
 謝られた犬夜叉は、決まりが悪そうに額にかかった髪をかきあげた。
 そもそも優しい言葉の一つも掛けられなかった為に、かごめに意地を張らせてしまったのだ、と犬夜叉も反省していたのだ。
 
「……実は、こんなに埃っぽくてじめじめした所で寝るくらいなら、外で寝た方が良いかもって思ってた」

 そろそろ鼓動が激しくなってきてどうしようもなくなった犬夜叉は、絶好の機会来たれりと立ち上がった。
 かごめが着物に残した体温がすっと冷えていく。

「そ、それならそうと早く言えよな。さっさと外に行こうぜ。あいつらも近くにいるはずだ」
「え!?ちょ、ちょっと待ってよー」

 直ぐにでも飛び出して行きそうな犬夜叉に、かごめは大慌てで荷物を整理し始めるのだった。


「どうしてるだろ、あの二人」

 焚火がはぜる傍で、珊瑚は夜空を見上げながら呟いた。
 まばらに出た星が煌々と輝いている。
 薪を新しくくべながら、弥勒は答えた。

「なにもないでしょうねえ。あの二人は」
「あのね……。まあ良いけどさ、七宝遅いね」

 数刻前から七宝と雲母は焚き木を集めに行っている。雲母もいることだし、なんら心配はしていないのだが珊瑚は無言の間に耐えられそうもなかった。

「えっと……」
「私と珊瑚に気を使っているのかもしれませんよ」
「え?」

 にこりと裏表の無さそうな笑顔で、弥勒は珊瑚の手を握りしめた。
 いつもの「私の子を産んでくれ」の定番の格好である。

「七宝の親切を無駄にすることはできません。さあ珊瑚、今のうちに……!」
「ななな、何言ってんのさ!」

 珊瑚が羞恥に任せた鉄拳を弥勒に喰らわせるのと同時に、草藪から七宝と雲母が顔を出した。
 手にこぼれそうな程の薪を抱えた七宝は、懲りないのうと呆れ顔を見せた。

 充分な木片が集まり、腰を落ち着けた三人と一匹は揺れる炎を見ながらのんびりと時を過ごす。

「あの二人は大丈夫じゃろか?」

 珊瑚と同じ心配をする七宝に、弥勒は先程と同じく、飄々と答えた。

「小屋からは結構離れましたし、人目を気にすることなく過ごせているのではないでしょうか」
「人目?おら達の目が何で気になるんじゃ?」
「まあ、犬夜叉の性格を考えてのことです」

 無邪気な七宝にいらぬ知恵を吹き込みやしないかと、珊瑚は耳を欹(そばだ)てていた。
 この法師は真顔で何を言うか分からない。
 決して俗悪な話題を振らないとは言い切れないのだ。

「こんなところに居やがったのか。離れすぎだ、ばか」

 がさがさと盛大な音を響かせて、突如犬夜叉とかごめが姿を現した。
 体中に張り付いた葉や草。ぼさぼさと乱れた髪が、どれだけの悪路を辿ってきたのかを窺わせる。

「思ったより早かったですね。もしかして二人きりに耐えられなかったんですか?」

 へらりと悪気もなく言う弥勒に、犬夜叉は全力で否定の意を表した。
 かごめは明るく燃える焚火に喜び、珊瑚の隣に座る。

「やっぱりあの小屋、空気悪くて……我慢できなくて出てきちゃったの」
「そっか。ずっと使われてなかったみたいだしね。出てきて良かったと思うよ」

 まだ押し問答を続ける男二人を尻目に、女二人は華やかな笑い声を響かせる。
 ぱちっと薪が爆ぜた。

 雲母と七宝が丸まって眠ったのを皮切りに、四人も次第に休む体制を整えていく。
 閑寂とした森の中。無音を破るのはただただ、焚き木の燃える音、それだけだ。
 
「まったく、二人きりになって何もしないとは男の風上にも置けないやつですなあ」
「うっせー!てめえとは違うんだ!」

 仲間達を起こさぬよう、小声で口論を続けていた二人がいつまで起きていたのか。
 それは実は目を覚ましていた雲母にしか分からないことであった。



END

ケータイサイトを始めた頃に作った小説を修正したものです。